東京高等裁判所 昭和45年(う)662号 判決
被告人 久須美好則
〔抄 録〕
本件記録中の関係資料によれば、被告人は本件につき昭和四二年六月二八日発付の逮捕状により同日逮捕され、ついで同月三〇日勾留状の発付、執行を受け、同年七月八日保釈釈放せられるまで勾留を継続されていたことが明認できるので、右各調書が被告人が被疑者として身柄を拘束されていた期間中に録取、作成されたものであることは明らかであるが、取調官の側において被告人に対し何らかの強制を加え、不任意の自白をなさしめたような事情が存在したか否かについては、そのような事情の存在を疑わしめるような資料はいささかも見出し得ないところである。すなわち、被告人自身は、原審第一一回(昭和四四年一一月七日)、同第一二回(同年一二月二五日)各公判期日等において取調官から共犯者の名を言わなければ警察から出さず裁判が終るまで入れておくとか、正直に取調を受けなかつた人が七年の懲役にやられたとか、本件は告訴事件だから告訴者が取り下げれば家に帰れるとか申し向けられた旨述べているが、右警察官調書の作成者である飯島一郎は、原審証人として右取調の模様につき本件告訴を受理してから本件小切手等を押収したうえ、被告人本人に対し取調べを始めたところ本人は当初否認していたので、告訴状も出ているし、使われた小切手その他疎明資料もあるので納得できるよう話してくれと言つたところ、自白を始めたものであり、否認しておれば長期間勾留されるおそれがあるとか、告訴事件だから取下げがあれば事件にはならないとかいう趣旨のことを申し向けたことはない旨証言しており、その他の関係証拠と対比し、右証言は十分措信するに足りるものであり、他に被告人の右自白の任意性を疑うに足りるものは何ら存在しないのである(原審弁護人も、右各調書の取調請求につき「特信性はない」旨の意見を述べたにとどまつている。)。そこで、つぎにその信用性ないし真実性の有無につき検討することとなるが、ここで、被告人の原審公判冒頭以来当審公判に至るまでの弁解内容の推移を要約してみると、つぎのとおりである。すなわち、原審第一回(昭和四二年八月三一日)公判期日において、被告人は本件公訴事実を全面的に否認し、「ただ私の仕事をしている八畳の部屋に家族の者が何も記入してない小切手を持つて来て日附を書いてくれと言われたので「四二、四、二八」と算用数字で横書してやつたことはありますがその人が誰であつたかは記憶しておりません」と述べ、第六回(昭和四四年二月一三日)公判期日においても、依然として、本件小切手原符の日付と金額とCの記載は誰かに頼まれて書いたものであるが忙しかつたせいもあつてその人が誰であるか記憶ない、社長の小松芳郎のように思うがはつきりしない旨述べ、第一二回(同年一二月二五日)公判期日においても、小切手に日附を書いて社長(小松芳郎)に渡したと思う、本件一〇万円は社長が使つたと思う、Cの字を書いたのは社長が現金をおろしてくるからと言われたのでペンを持つて仕事をしているので書いた、調べにあたつても主人(社長)に頼まれたので書いたということは言つた旨述べていることが窺われるが、当審においては、第二回(昭和四五年七月二〇日)公判期日において、本件小切手の控の日付と金額の数字とアルフアベツトのCの字は自分が書いたが、これは四月二八日朝九時少し過ぎた時に小松社長に頼まれて書いた、そのとき社長は自分が仕事をしている処へ来て、「一寸小切手を貸してくれ」と言つたので、自分が「何するのか」と言つたところ、社長は「現金一〇万円をおろすのだ」と言つたので、自分は、それでは小切手はこう書くものだと書いてやつて、小切手帳のまま社長に渡してやつたら、社長はそれを持つて出て行つた旨、小松社長から日付等記入の依頼を受けた模様につき極めて具体的な供述をするようにかわつてきているのであるが、真に被告人が小松社長から右依頼を受けたものであれば、捜査段階においても、原審公判の冒頭においても、堂々とその旨主張、立証すべきものであつたと考えられるのに、そのような形跡の窺われないことは、被告人の右弁解の信用性に疑を挿まれても致し方のないところであろう。また、この点は、本件被害者小松芳郎、同小松八重子の原審および当審における各証言を仔細に検討することによつても十分是認されるところである。すなわち、右各証言は、その相互間において多少くいちがう点がないではないが(例えば、小松芳郎は原審証人として、本件小切手控の記載を発見した経緯につき、四月の月末に請求書や仕事の帳簿を調べて出納簿を記帳しているときに小切手帳に見なれない手筆で一〇万円と書いてある控えがあり、これは誰が支払つたのか、妻達に聞いてもわからず、よく調べて見ると字が経理事務に来ていた久須美に似ているので、早速久須美に電話した旨最初に自分が発見したように述べ、小松八重子も、この点につき原審証人として、自分の会社で一〇万円の小切手が出ているのを気付いたのは、今年の五月二日で、毎朝前日の帳簿の整理等をするのだがその頃飛び石連休で整理をのばしており、五月二日の朝整理してはじめて知つた、小切手は主人の他は誰も切らないので直ぐに主人に尋ねたが、主人は切つた憶えがないと言うので色々調べたところ、小切手の数字が久須美の筆跡に似ているので早速聞いて見た方がよいだろうということになつた旨述べているが如きである。もつとも、この点については、当審に至つて、小松芳郎証人は、右八重子証人の証言にそう供述をしている。)、本件発覚後の被告人との交渉の模様に関する供述の点においては、大綱においては彼此一致しており、しかもそれは被告人自身のこの点に関する供述内容とも一致するところがあり、これらの事情から判断すると、被告人の前記の弁解はますます措信しがたいものとなるといわざるを得ない。すなわち、これらの証拠によると、小松夫妻は、本件小切手控の字が久須美の字であることが判つてから、被告人の勤務先である近藤事務所へ電話し、被告人に小松方へ来て貰つて話し合つたが、その際、被告人は最初に「判つたかい」とかいうようなことを言う一方で、書いた憶えがないと頑張り通していたが、そのうち本件小切手やその控の字を見せられるに及んで、自分の筆跡であることを認め、一〇万円を何処かで借金して、二、三日中にさしあたり五万円を、残り五万円を五月中に弁償することを約束したのにかかわらず、結局、近藤事務所の上司とも話し合いの結果、数日を経ないうちに右弁償の話を白紙に戻し、あらためて司直の手により黒白をつけて貰うよう小松夫妻に回答してきたので、小松の方では、直ちに本件被害の届出、告訴の処置をとつたこと、そして、被告人の勾留取調中の昭和四二年七月六日(本件起訴の前日)被告人の実兄において金一〇万円を小松の方へ弁償したので、同日付で示談書並びに小松芳郎名義の告訴取下書が作成され、即日富岡区検察庁へ提出されたことが認められるのであつて、これらの経緯に徴すれば、被告人の捜査段階における本件窃盗および有価証券偽造に関する自白は優に措信するに足りるものというべく、原判決挙示の補強証拠をみても、その十分性の点において何ら欠けるところはないので、本件窃盗、有価証券偽造の点については、その証明十分であるから、右の事実に関するかぎり、原判決には何ら事実の誤認は認められない。
(栗本 小川 藤井)
註 本件破棄は他の事実に関する誤認